ごあいさつ

 札幌市議会議員鈴木健雄の家内のいずみでございます。
 2024年8月11日、主人は73年の生涯を閉じました。死去に際しましては、皆様より丁重なお悔やみと温かい励ましのお言葉を頂き、誠にありがとうございます。
 主人が札幌市議会議員に初当選させて頂きましたのは1995年4月のことであり、それから7期と1年余り、30年ちかい議員生活でした。
 初当選の頃を振り返ると、当初、私は主人が四半世紀以上にもわたって札幌市議会議員を続けようとは夢にも思いませんでした。5歳の双子の娘たちの育児に追われる私に「一度だけ、挑戦させてほしい」と言った主人の真剣な顔を今でもおぼえています。
 
 鈴木健雄は十勝池田町の出身で、国会議員の秘書経験があり、選挙のことは多少わかっていたとしてもまだ43歳の無名の新人でした。
札幌市という大都市の市議に立候補するなどということは無謀なことに思えてなりませんでした。
 「そもそもあなたは札幌のことなんて何も知らないでしょう」
 札幌生まれ札幌育ちの私は言いました。
 そのときから主人は、札幌について猛勉強を始めました。インターネットがまだ普及していなかった時代ですので、図書館や古本屋に通って、札幌の歴史や風土、生活、文化についてのあらゆる資料を入手しては読み漁っていました。
 札幌市東区の鉄東地区にある「札幌村郷土記念館」に足しげく通うようになったのもその頃です。江戸時代に大友亀太郎が開拓のために選んだ土地が今の東区だったこと。「御手作場」と呼ばれる地所に農民を入植させ、この村を「察歩呂」と名づけ、それがサッポロの原点になったこと。しかし、そこは水はけの悪い粘土地で、土地改良のために排水溝としての役割を持つ「大友堀」を作ったことなどを、熱っぽく語ってくれたものです。
 一期目当選後の主人のライフワークの一つが「創成川通り連続アンダーパス」でしたが、江戸時代の大友亀太郎に街づくりの原点を見出し、自分もそこに小さな足跡を残せたらと思っていたようです。
 主人のライフワークのもう一つの大きな柱が「災害に強いまちづくり」でした。
 初当選の年の1月に阪神淡路大震災があり、一年目は「環境消防常任委員会」に所属していました。その後、2011年の5期日選挙の直前に東日本大震災があり、3.11は奇しくも主人の60歳の誕生日にあたりました。そして2018年には、札幌市清田区、東区にも大きな被害をもたらした北海道胆振東部地震があり、住宅に近い幹線道路にできた亀裂を防災服、ヘルメット姿で視察していたのを思い出します。
 
 それから、平成は令和に。時代は大きく様変わりしました。
 高齢者が激増する一方、出生率はさらに低下しています。人口減少が始まり、経済が失速する中で、医療・介護、年金をはじめとする社会保障費を支えるのが困難になるなど、札幌市においても課題が山積しています。
 主人が何よりも大切にしてきたのは「地域の絆」ですが、2020年からのコロナ禍は風前の灯になりつつあった共生社会に決定的な打撃を与えました。
 もはや人が人をあてにはできなくなりつつある社会、今までの常識が常識として通用しない社会が来ても、私たちがぬくもりを失うことなく、人間らしくいきいきと活動することを諦めるべきではない。「夢を諦めない」が主人の8期目にあたっての決意文のタイトルでした。その8期目に挑戦し、昨年(2023年)4月に当選を果たさせて頂きましたが、任期を2年以上も残して病にたおれ、亡くなりました。
 無念であったろうと思います。
 7期28年の市議会議員としての活動で、さまざまな問題に取り組み、ささやかながら実現できたものもあります。しかし、時代は想像を絶するスピードで新たな多くの課題をつきつけてきます。変化の速さについて行くのがやっとの時代にあっても、四半世紀あまりの間に積み重ねてきた経験と知恵で、ささやかでも何とか皆様のお役に立ちたいという強い思いを最後の最後まで持ち続けていたようです。
 主人を死に至らしめた病は、進行の速い十二指腸ガンでした。末期は痛みも激しく、亡くなる前の数日は強い痛み止めの作用で、意識がはっきりしない状態でした。しかし、7月末に最後の入院をした直後は、本人もまだあれもこれもできるはずだと思っていたらしく、枕元にあったノートには、退院後にご挨拶を予定している所や、対応しなくてはいけない数々の陳情が箇条書きで書きなぐられていました。
 8期目の市議の議席を頂きながら全うできなかったことを、鈴木健雄本人はどれほど情けなく、申し訳なく、残念に思っていることでしょう。

 ここで、せん越ではございますが、私から皆様にお願いがございます。
 札幌市東区に、鈴木健雄という平凡ではあっても札幌市、東区を愛し、夢を諦めなかった男がいたことを、ときどきは思い出して下さい。札幌の創成川通りアンダーパスを通られることがあったら、また東区「つどーむ」のスポーツ施設を利用されることがあったら、ちょっとだけ鈴木健雄を思い出して頂ければ幸いです。
 どうか皆様、お身体にだけはくれぐれも気をつけてお過ごし下さい。
 最後は、私が最近感銘を受けたリファト・アルアライール氏(ガザの空爆で亡くなった詩人)の詩の一節で締めくくります。

 “If I must die "

 If I must die,
 you must live
  to tell my story ....

                          2024年12月 鈴木いずみ記

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