創成川通り連続アンダーパス化 (街づくりの原点)

2010.05.20

街づくりの原点
 
16年前の或る日、私は東区鉄東にある「札幌村郷土記念館」を訪れました。佐藤寿雄先生の後継として市議選に挑戦する前年の夏のことでした。その時の記憶は今でも鮮明です。大友亀太郎という江戸時代のひとりの男の生きざまに膝が震えるほど感動しました。大友亀太郎が開拓のために選んだ土地は今の東区でした。「御手作場」とよばれる地所に農民を入植させ、この村を「察歩呂」と名づけました。この土地は水はけの悪い粘土地で、彼は、用水路であると同時に土地改良のための排水溝「大友掘」を作りました。この名残が現在の創成川です。私はここに「街づくり」というものの原点を見ました。そして創成川を中心とした街づくりは私のライフワークの原点ともなりました。
 
初当選の平成7年は阪神淡路大震災の年でもありました。私が最初に取り組んだのは、災害に強い街づくりでしたが、近年の東区はさらに都市化、高齢化が進み、新たに多くの問題が出現しています。老朽化、空洞化しつつあった市街地には高層マンションが林立し、新陳代謝が進んでいますが、近隣の人と人との繋がりはますます希薄化しています。都心に近い東区の魅力を生かしながらも、そこに住む子供たちも高齢者も障害を持つ人も生き生きと安心して暮らせるような街づくりを追求していかなければなりません。目指すのは「完全なバリアフリー化」と、歩いて暮らせる範囲に都市機能が集約された街づくり「コンパクトシティー」の実現です。街づくりになくてはならないのは、そこに住む人の新たな発想と地域で育まれた知恵です。皆様とともに考えながら、その声を確実に市政に届け、本当に住んでよかったと思える東区のために、本気で取り組んでまいります。街づくりはすぐに結果の出るものではありません。16年前の大友亀太郎との出会いを思い起こしながら、粘り強く、あきらめない街づくりに務めてまいります。
 
平成9年撮影 (議会で連続アンダーパス化を質問・提案をしていた頃の創成川の歩道橋より)
 
創成川通り連続アンダーパス化工事始まる(平成18年)
 
 
 
 
平成7年の初当選以来、創成川連続アンダーパス化は私のライフワークとなり、創成川通りは都心アクセス、通過交通が多く東西交通のネックとなっており、連続アンダーパス化によって都心部の渋滞緩和に大きな効果をもたらし、創成川以東の均衡ある街並みの発展や、アンダーパス上部を整備して市民の憩いの水辺空間を創出すれば二条市場や狸小路商店街の活性化にも貢献できると訴え、さらにJR以北までの整備をも訴えてまいりました。